2007年9月7日金曜日

あの日のコール



あの日、不思議な時間に不思議な場所から電話が鳴った。私は誰かと眠りの中にいた。


コールで目が覚めたのと、無意識に受話器に手を伸ばすのと、ほぼ同時だったんだと思う。少し混乱してるあなたの声が降ってきた。私には夢の中なのか外なのかここが何処なのか隣にいるのは誰なのか、すぐには分からなかったけど。あなたの声だということだけは、すぐに分かった。


「もしもし、あれっ?」「もしもし、あれっ?」息遣いと一緒に、ただならない雰囲気が伝わってきた。目覚めきらない私もつられて、少し混乱した。時間とか場所とか関係とかがぐしゃっと潰れてなくなって、ただ、私の目の前にあの人が立ち尽くしてるみたいなコールだった。焦点の合わない目が見えるようだった。彼は私にコールしてる自覚というヤツがないみたいだった。丸腰みたいに無防備な彼が目の前にいた。いつものように、もしくはいつかのように、抱きしめてあげたかった。強烈にただそうしてあげたかった。やさしい声で名前を呼んで落ち着かせてあげたかった。呼びかけるのは簡単に思えた。簡単なはずなのに、呼びかけられなかった。私は体が竦んで動けなくなっていた。声が出なかった。

「もしもし、あれっ?」「もしもし、あれっ?」名前を呼んで手を差し伸べて。手を差し伸べたら抱きしめて。だけど抱きしめたら放せなくなる。もしくは、名前を呼んだら呼び返されて、呼び返されたら捕まって、捕まったら抱きしめられて、抱きしめられたらもう動けなくなる。どちらでもどちらからでも構わない。とにかくもう一度始めちゃいけないんだと。頑なぐらい頑なに。ただ思って、私は黙って受話器を握ってた。

あの夜、コールが届く少し前から私は呼ばれることを知っていた。確かに知っていた。出ないでおくという選択肢だって、もちろんあった。けど、眠りの中の無意識の私は、あなたのコールを待っていて。体は正直に反応したんだ。それでも、意識を取り戻した私は、無意識の私を厳しく律して。とにかくもう一度始めちゃいけないんだと。頑なぐらい頑なに。ただ思って、私は黙って受話器を握るしかなかったんだ。だけど、受話器を私から置くこともできなかった。たった一言で彼の混乱を沈めてあげることもできなかった。名前を呼んであげることもできなかった。


なんにもできない夜だった。私もただただ立ち尽くしてるだけのような夜だった。私にも丸腰みたいに無防備な夜だった。

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