2007年10月25日木曜日

ヤモリになりたいなあ


目覚めると、床にぺたりとヤモリが落ちてた
今月になってから、もう二回目のこと

拾い上げて手の甲にぺたりとのっける
ひんやりしたカラダがぺたりと貼り付く

元気だったらば
おそらくは私に捕まることなどなかっただろうヤモリ
おそらくはmitoさんが捕まえていたぶって遊んだらしきイモリ
瀕死の彼

目をクリクリさせて
手のひらを目一杯開いてるヤモリ

尻尾がぷつりと切れていて
息もキレギレの
コンクリート色したヤモリ

こんなにもしげしげとヤモリを見ることなど
今までなかった

瀕死の彼

だけどとてもチャーミングで
目が離せなくなった

手の甲に伝わってくるのは
あくまでもひんやりした彼の体温
それは
瀕死の彼からのメッセージなんかじゃなく
生まれ持っての彼の体温
ひんやり
ひんやり
しっとりと湿り気があって
少しも温かみなんてないのに
生々しい「生」を感じた

助かってくれたら
そう思って草むらに放った
とたん抜け目なくするりと動いた

ヤモリになりたいなあ

不意に思った
ひんやりして
ぺたりと貼り付く
抜け目のないヤモリ

だけど
mitoさんだけには
みつかりたくないなあ

2007年10月24日水曜日

それはもちろんすごく個人的なことで、カーヴァーの責任では、もちろんない。



久しぶりにカーヴァーを読む。


「Carver's Dozen」。そこに選ばれた小説をとってみても、村上春樹の添え書きをとってみても、構成をとってみても、すべてにおいて良くできている本だとあらためて感じる。

カーヴァーの本には幾つかの食べ物が出てくる。

ありふれたシンプルなアメリカの食べ物ばかりだが、私はそれを読むのが大好きみたいだ。シーザー・サラダ。ボウルに入ったスープ。エクストラのパンとバター。ラムチョップ。サワー・クリームをかけたベイクドポテト。チョコレート・シロップを添えたヴァニラ・アイスクリーム。特別に飾り立てる言葉もないのに、舌なめずりをしたくなる。私も同じモノを食べてみたくなるのだ。村上春樹に惹かれたきっかけも、彼の食べ物の書きようが、とても美味しそうだったからだったなと気が付いて少しおかしくなった。私は誰かの描く、当たり前の食事や生活の中の食べ物が、つくづく好きなんだなーと思う。

カーヴァーの作品は、イヤな予感が漂っている。

何かが起きる予感、予兆が、抑えたトーンで書かれている。これから何か悪いことが起きるような、根拠のない軽い胸騒ぎを覚えずにいられない。それが私には少し辛くもある。物語も人生も、時に私の手に負えない。「運命」という言葉を私は好んで使いはしないが、それを感じずにはいられない。この本には時には残酷な人々の「運命」が書かれている。人は自分の存在を越えた大きなモノの前には、いつも無力なのだな。 時には情けないほどに。

カーヴァーの物語の終わらせ方を読んで欲しい。

カーヴァーはある時点(まさに点のような)から、物語の色合いがガラリと変わってしまう。取り返しがつかない、自分の力ではどうにも出来ない方向へ話は、ぐいっとねじ曲げられてしまう。抑えたトーンが一転する。そこに突然投げ出された感情に、私はいつもどぎまぎとしてしまう。戸惑ってすくんでしまう。目を反らしたくなってしまう。淡々と出来事を見つめていた目が、突然私自身に向けられる。「じゃあ、お前は?お前はどうなんだ?」 その問い掛けに私はいつも言葉をなくして立ち尽くす。

カーヴァーが好きですか?そう聞かれたら、私はなんて答えるだろう?Yes or No? んん?答えになるのか分からないけれど…そう前置きをしてから、私はきっとこんな風に答えると思う。

カーヴァーの本は、私にはすごくやっかいな代物だ。

カーヴァーの文章は、私の一時期の暮らしを、まざまざと思い出させてくれる。それはもちろんすごく個人的なことで、カーヴァーの責任では、もちろんない。「ダンスしないか?」の中の娘が、会う人ごとにその話しをして、伝わらない何かが残って、何とか言葉にしようと試みたけれど、結局あきらめてしまったのに似ているのかもしれない。私はもうあの時の出来事を、誰かに伝えることを諦めている。誰とも共有できないことを知ってしまっている。それは悲しむことではないけれど、事実として横たわり、動かしようがない。ただ知っている。それだけだ。それ以上どうしようもない。 それだけだ。

それでも「ぼくが電話をかけている場所」を読んで欲しい。

私はいつも胸が熱くなる。誰かに伝えずにはいられなくなる。「アルコール中毒診療所」での、発作がいつ訪れるかも分からない、飲んだくればかりが一時身を置くその場署から、カーヴァーは「生き延びる」という、シンプルな欲求を思い出させてくれるんだ。

生きて行くことは、しんどいことだ。

それじゃあそれを「生き延びる」に変えてやろうじゃないか。と気付かせる。「生きて行く」から「生き延びる」に。「生き延びる」は獣の領域。もう一度獣に戻って生き直そうよ。アタマとカラダをフルに使って、あの頃の自分を思い出そうよ。

大きな風邪をひいてしまって、まだ微熱の下がらない私だけれど、今夜の私は自分の中の獣の匂いを嗅ぎ直してる。今夜の私は鰐のようにしたたかでしなやかかもしれない。などと、不意に思いついて、にいーっと笑ってみたりする。まさに鰐の微笑みで。にいーっとにいーっと。野蛮なまでの生命力みたいなの?思い出したよ。生き延びていく私みたいなの?思い出したよ。

2007年9月26日水曜日

空の欲情。




起きがけにいつも屋上に登る。

今朝も屋上から空を眺めた。日中はむしむしと蒸し暑く夏さながらで、なかなか気持ちよく秋をはじめてはくれない今年だけれど。朝の空気は肌寒く、虫の音がコロコロと鳴り、天は秋らしく、キチンと高くなっていた。あああ、秋なんだなあと思う。

秋の空を眺めるのは、一回り大きなスクリーンを眺めるようだ。そのスクリーンには、なかなかにドラマチックな景色が似合う。時には圧倒されてしまうような壮大なヤツ。

今朝は空がむらむらと欲情していた。ムラムラでなくむらむら。匂い立ちそうな空だった。なんだか新しい物語が始まりそうで、私もちょっとむらむらした。そんな朝。

2007年9月25日火曜日

そんな私の一日も、それを真似てはキャプションなどつけてみた。



小池昌代の「タタド」を読んだ。一晩でぐいっと最後まで。うん、おもしろかった。

初老に差しかかった男女4人のやりとりと終わりとはじまりを書いた表題作「タタド」も。海に囚われて変わっていく夫と自身の頼りなさを書いた「波を待って」も。友達夫婦の黴臭いマンションで名画にキャプションを付け続ける「45文字」も。

読みながら、それぞれの物語がその「場」の力に支配されているような感覚を持つ。「タタド」では夏みかんがぼとぼと落ちる海の家。「波を待って」は風、砂、水、光にどんどんと侵食されてしまう波打ち際。「45文字」は、黴臭いマンションと、記憶の中の競技場。

場所の持つ力。磁場のようなモノの前で、人々は少しだけタガがはずれる。静かにひっそりと足を踏み外す。その動き出す様が好ましい。そこには女性作家特有の「怖さ」や「生身」な感じが実に薄い。そこも好もしい。

海辺であらゆる色味が乱反射してなくなってしまうように、この本もなんだか淡い。淡いけれど、確かに濃く影は残る。何かがあった記憶が、まざまざと焼き付けられているようなそんな後味。誰かの遠い話しを聞くような。私の遠い記憶を紐解くような。耳を澄ませば波の音が聞こえてくるような。そんな心地よさに包まれて、つかまえ所がないまま読み切った。

窓からは大きすぎる月がのぞいてる。今夜は、満月、お月見の夜。

自転車で走っていた川沿いのいつもの道に、一塊の彼岸花がわっと咲いてた。毎年毎年、誰に教えてもらう訳でもなく、季節を過たず花をもたげる彼岸花。その規則正しさ律義さ、もっと言えば融通の効かなさみたいなモノに感心を覚えずにはいられない。役割を心得た寡黙な花。企みを秘めた不埒な花。

昨日読み切った短編、絵画を眺めてはそれにキャプションをつけていく「45文字」を思い出す。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」。「注意深く牛乳を傾ける女。すべてが静止している清潔な室内で、落下する牛乳の筋だけが動いている。」その空気の澄む様まで見えるようだ。塵ひとつ動かないまだ早い朝だろうか。きっと季節は寒いはず。

そんな私の一日も、それを真似てはキャプションなどつけてみた。やっぱり私も、(ほぼ)45文字。

「不意に薮から溢れ出る今年もここに彼岸花。役割を心得た赤の律義さよ。企みを含んだ赤の静けさよ」

毎日をいろんな大きさに切り取ると、切り取ったというそのことで、それぞれは少しづつ意味合いが変わっていくようだ。俯瞰だったり。ズームだったり。人事だったり。どこか遠くの出来事だったり。それはカメラを構えたくなる私の気持ちと少し重なる。重なって軽くなる。

2007年9月24日月曜日

私もなる。絶対絶対。絶対ね。



はてなの頃から、私の日記を読んで下さっていた方は、私の日記の変わりように、不審(?)に思っていた方もいたかもしれませんが。昨日、長年連れ添ったAさんと離婚することになりました。離婚という形で、やり直すことになりました。具体的な話はまだまだこれからですが、とりあえずの二人の決断であります。

一年の間。別居という形の中でやり直そうと、お互い努力してきましたが。もう一度前のように暮らしていくのは、どうしても出来なくなってしまいました。気持ちがないまま暮らすことは、私にも彼にも酷なことですし。昨日の決断は、英断であると、そう思っているのであります。 終わりは始まりであると。

昨日は、とても残念だという気持ちを何度も確認しあいました。お互いにたくさんの反省や後悔をした一年でした。それでもその時期を通り過ぎると、どうしてもこういう運命だったのかなあと思わずにはいられませんし。今は、運命という形で片付けるのが自分にとってとても楽みたいです。センチメンタルに片付けるではなく、あまりに大きなこの出来事を私は運命と思って前向きに受け止めたいと思っているのです。反省や後悔はやりつくしましたし。今、私は彼と彼との間に有ることは総て全力でやり切ったんだと。すごく大切だったし大切にしあえたと、そう思ってます。二人は二人をやり切ったんだと、そう思っています。

一緒に暮らして、13年。結婚してからはちょうど10年でしたけど。私たちはとても楽しく暮らしてきました。私は彼にたくさんのことを教えてもらいました。私は誰かと穏やかに暮らしていけるような人間ではないと自分のことを思っていました。それが彼と会って、彼といることで、すごく自然に、毎日彼にごはんを作ること部屋を整えること待つこと話すこと散歩することねこを飼うことが好きになりました。持つということも怖くなくなりました。

彼はいつも私の味方で。時に沈んでいく私のことも、愛を持ってほっぽっておいてくれました。彼はよい意味でいつも私に無関心でいてくれました。それがとても楽だった。のびのびできた。彼は私にさみしくなるほど、ああして欲しいこうして欲しいと言う人ではなかったけれど、繰り返し言ってくれたのが「もっとやりなさい」ということでした。長年続けていた芝居をやめたのも、彼と出会ってからでした。それでも、芝居でなくてもいい、文章を書くことでもいい、映画をみることでもいい、みて感想をかくことでもいい、とにかく「あなたはもっと出来る人だし、やれる人だから、なんでもいい、もっともっとやりなさい」と言い続けてくれました。その言葉はこれからも私の宝ですし、励みですし、力になると思います。本当に本当に本当にありがとう。

上手くいかなくなってから、オセロのコマがバタバタと裏返るみたいに悪いことが続いたし。幸せなことを書き連ねていた「はてな」を覗くのが辛くなり、更新も出来なくなりました。その頃知り合い交流の持てた人達とも自然疎遠になってしまったことも、さみしいことでありました。その方達の日常をみることも辛くなってしまった。仕事でもたくさんの辛い別れがありました。私のせいだけど、みんないなくなってしまうんだと、思った時期もありました。わたしにはなんにもないと。からっぽだと。でも、なくならないんだよね。知り合えて交流できたこと、感じ思ったことしてきたことは、すべてが私には変わらない財産だ。否応もなく、密になる時期疎になる時期を繰り返すけど、大事なものは、絶対なくならないんだよね。いつまでもここにしっかり残っているんだよね。 それが分かった。

もちろん、Aさんとはずっと一緒にいたかった。添い遂げたかった。歌の文句じゃないけれど、別れる時は死ぬ時と思っていた私だから。こんなカタチが待っているとは思いもよらなかったけど。でも、こんな形ででも、また新たな人生を私に与えてくれたと思うと、ちっとも御利益のなかった神様にも感謝したいし。とても贅沢であるかもしれないと思ってもいます。やっぱり、Aさんには、どこまでいっても感謝しかありません。結婚してよかった。彼と暮らせてよかった。彼を知ってよかった。彼と歩けてよかった。一緒にごはんが食べられてよかった。彼を嫌いにならずにすんでよかった。

いつまでも変わらぬ感謝と静かな愛情を。

そして、私もいつまでも彼の味方でありたいと思う。別居してからの一年、いろんなことを知りました。どんな出来事の中にも、その中によいことわるいことがまぜこぜで、人は簡単には不幸せにも幸せにもならないことを知りました。それでも。だからこそ、あえて言いたい。Aさんよ幸せになってくれ。今よりいっぱい幸せになってくれ。私もなる。絶対絶対。絶対ね。

2007年9月20日木曜日

「バナナ」と「バナナ味」の間にある様々なことに対する考察



新発売らしいチョコレートなるモノを食べた。バナナ味のチョコレート。明治のバナナチョコレート。


思った通りと言おうか、ああやっぱりねと言えばいいのか、想像していた通りのバナナ味だった。私に限らず、おそらくは万人の想像を上回ることも下回ることもない。期待も裏切らない。進歩も退化もない。言うならば誰もが承知している「バナナ味」のチョコレート。だった。

だけれども、これって「バナナ味」だけど「バナナ」じゃないよな。と、いつもしみじみ思わずにはいられないのだよ。おそらく誰でもが、このチョコレートを食べた時「バナナ味」だなと自覚するだろうけど、誰もがこれは「バナナ」じゃないな。ということも知っている。つまりは世の大多数の人間が「バナナ味」は「バナナ」でないことを認識しながら、この「バナナ味」は「バナナ」で行きましょうと黙認しているということになる。大目にみているということになる。もっと言えば、承認を受けているということになる。認められている味なのだ。

 バナナだけれど、バナナじゃない
 バナナじゃないけれど、やっぱりバナナ

それが「バナナ味」の定義なんだろうかな?「バナナ味」ってモノはそもそも一体なんなんだろうかな?

おんなじことが「イチゴ味」にも言えるかもしれない。と思わないでもないのだけれど。昨今のイチゴ味というヤツは、ブツブツだったり果肉そのまんまだったりトロリとしていたり、進歩や変革が著しく、各メーカーによっても差別化が進んでいたりする。だから「バナナ味」のように、まあ「イチゴ味」ってこんなモンでしょう。と規定してしまうのは危険であるかもしれないし。期待や想像を裏切られることもあると思う。

となると、進化も進歩もなく想像も裏切らない、各メーカーにおける差別化もみられない。このバナナでない「バナナ味」のことが私はますます気にかかる。

この息の長い「バナナ味」を「まあ、こんなモンでしょうかね」と、定めた人が何処かにいる・いたということも大変興味深い。決めるにあたっての、葛藤やひらめき達成感や妥協点みたいな部分をインタビューしてみたい。不安はなかったのかなとか。風当たりは強くなかったですかとか。なにか揺るぎない根拠のようなモノがあったのですかとか。いろいろ。

「誰かを好きになるということは、誰かを好きになると決めるだけのことかもしれない」 と言ったのは川上弘美の小説「いとしい」の中の姉妹の姉か妹のどちらかだったけれど。「バナナ味」も、誰かが「これがバナナ味ですから」って決めた人がいたのだねえと思う。

「決める」ってことの偉大さととんでもなさと運命のようなモノ思う。カフェ・オ・レで明治バナナチョコレートを舐め溶かしながら。「バナナ味」の辿ってきたであろう道のりを思う。

きっときっと「バナナ味」に限ることなく、この世の中は誰かが「決める・た」ことの寄せ集めなのかもしれない。「決める・た」ことで出来上がっているのかもしれない。そうすることだけが、世界を作っていけるエネルギーなのかもしれない。なんて、ちょっと大きめの風呂敷を広げてみたりもした。

こんな私の「バナナ」と「バナナ味」の間にある様々なことに対する考察は。おしまいおしまい。ちよっと疲れた。そんな疲れたアタマには糖分と良質の「バナナ味」を。

2007年9月18日火曜日

ある日のラヴ・レター


 

悪を書く度量がありません。と、何処かでこの人は答えていた。きっと彼女は怖いことも書く度量がありません。と、言うんじゃなかろうか?と、川上弘美の「いとしい」を読んでそう思った。

まだまだまだまだと言い続ける。そんな強欲な女の人を、彼女は決して怖くは書かない。剥き出しの感情もやさしく包んでは、おかしみを誘っては、色濃い空気を湛えた女の人へと変貌を遂げさせてくれる。ありがとう。時にわたしは彼女にそう言わずにはいられない。ありがとう。やさしくしてくれて怖くしないでおいてくれて。アナタのことは永遠に忘れませんと。あっ、永遠、えいえん、エイエン…。そうわざと声に出して言ってみたりする。永遠が実はまだまだ怖いわたしの肝試し。

時には人にまだまだまだまだと言ってみたり。肝試しに永遠と言ってみたりする。そんなわたしです。アナタはわたしのこと怖くはないですか?



数を数える癖のある妹と。腰まで届く髪をいじる癖のある姉の物語。妹は夏のある日に、長く伸びた姉の髪にからまってしまったことがある。

 「暗い夜→銀色の世界→美しい声→短所を直す→ごま油を買う→歌って歩く→小屋を作る→幸せになる」


矢印は左から右に流れていくもの、そうあって下さいと誰もが思うけれど。最後まで辿り着いてそこで物語は閉じて下さいと。もしくはもっと曖昧に、小屋を作る、歌って歩くあたりで止まってしまってくれてもと。それでも人は、ついつい右端から左の頭にまたまた矢印を結んでしまう生き物なのだ。再び訪れる夜はさらに暗く。銀色の世界はただもう寒く。そんな永遠のメビウスは重なる度に凶暴化していくのかもしれないね。なんて。


 「スキ」とはなんだろう。


キスもセックスもするスキ。しないスキ。もう一度会いたいけれど、会わないのスキ。会うスキ。姿のあるスキ。ないスキ。確認して安心するスキ。しないスキ。言葉を届けるスキ。いらないスキ。兄のスキ。妹のスキ。兄と妹のスキ。姉と妹のスキ。あの頃のスキ。今のスキ。アナタのスキ。アナタのかつてのスキ。わたしのスキ。わたしのかつてのスキ。わたしとアナタのスキ。


目を閉じて。わたしが彼とするキスもセックスも、どこかで生き残ったキスでセックスのような気持ちになる。スキの総決算の頂点に君臨した奇跡のようなキスでセックス。生き残れなかった誰かとの上に、私たちのそれはある。その様々な屍を踏みつけては目を閉じる。まるで人類が辿った歴史を一瞬にして垣間見るように、わたしはカタチにならないものを想起する。アンモナイトや三葉虫や恐竜の末路を想うように。さかなやとかげや昆虫の来た道を想うように。わたしはアナタとキスをする。わたしはアナタとセックスをする。目を閉じて。わたしはカタチにならないものを想起しつづけながら。


 「誰かを好きになるということは、誰かを好きになると決めるだけのことかもしれない」


ああ、そうかもしれないね。あの夏絡み合ってしまった姉と妹は、人を強く恋うたり、強く恋うた人と別れたりしながら、二人とも辛いおもいをする。それでも、時は流れて、案外のんきに暮らしている。それはすべての登場人物が、そうであって。皆が皆、音もなくどんどん変わっていく。人ばかりでなく、動物も、日の光も、カタチあるものはすべて皆これ変わっていく。ただ、変わらないモノは、あの時死んで、幽霊のようなものになってしまったマキさんとアキラさんの二人の営みと魂だけ。悲しい声をあげたまま、永遠に、あの部屋で情交を繰り返す。


 「愛って、何なんでしょうか」


ああああ。その答えは、わたしごときには決して決して永遠に分からないかもしれないけれど。


生き残ろうよ。


二人で。二人は。二人が。最後に生き残ろうよ。決して死なないこと。何処までもいつまでもしぶとく生きて、生き残ること。それがこのメルヘンを本物にするただ一つの方法だから。もしくはこの「愛」というヤツを実証する術の総てだから。ねえ。愛してるよ。

2007年9月16日日曜日

ミルクレープのような空。



夏に逆戻りみたいな一日。

懐かしい汗の匂いをくんくんと嗅ぎながら、布団を干したり洗濯機を回したり掃除機をかけたり、言うなればいつもの日曜日。

亀の亀有君の住まい洗ってあげたら、気持ち良さそうに鼻先を出してきた。

ぎょんすけはござの上でへばってぺたっと寝てばかり。それでも気が付くとくるりと反転していたりして、彼女なりのこだわりを感じなくもない。

みとじろうは何処からかヤモリを見つけてきては部屋の中に持ち込んでは追いかけっこをしてばかり。私もつられて追っかけて、とてもファニーな顔のヤモリを逃がしてあげる。この色素の薄い頼りなげな生き物が我が家を守っていてくれるのだろうか?ならば、ありがたくもあり愛しくもあり。かすかに伝わってくる生き物の体温から、命のようなモノをしみじみ感じる。

夕方、ベランダからミルクレープみたいな空が見えた。幾重にも重なったクリームのような雲。ぺりっと捲ってすくって舐めてみたいな。

とても近しい人の入籍の知らせを聞く。とても嬉しい。二人を取り巻く人達の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。生まれるであろうたくさんの縁を思う。二人は長く一緒に過してきたけれど、結婚という形で新しくなるんだなと思う。新しいということは、いつでもいいモンだ。それを喜ぶひとが多いなら、尚更のこと。私まで勝手にウキウキしていたりするんだもん。

人は時々に変わっていかなければならない生き物だと思う。もしくは、好むと好まざるとに関わらず、変わらずにはおれない生き物だとも。その時々を、二人で変わっていってくれたらいいなと思う。その度々に、楽しいことを二人で見つけていって欲しいなと思う。おそらくはヒトリが得意な二人であろうから。そのヒトリとヒトリが寄り集まって、新しい二人のカタチを作っていって欲しい。いろんな発見やいろんな疑問を、二人でたくさん持寄って報告し合って賑やかに暮らしていって欲しいと思う。そしてその幾つかの発見を、私にも時々こっそり教えてくれたら嬉しいなと思う。私はそれを楽しく待ちたい。おめでとう。本当に本当に。私はとっても嬉しいんだよ。

私の近しい人は、結婚という形で子どもの頃のようなスクスクとした彼女に戻っていくように私は思う。やんちゃでちよっと悪巧みが得意だった、あの頃の彼女に。手足を思いっきり伸ばして生きていた、あの頃の彼女に。原点回帰だ!素晴らしいこと、この上ないよ。新しいけど懐かしい毎日の始まりだ。

私の近しい人の新しい挑戦が、わくわくするモノでありますように。何時までも、無邪気に挑んでいけますように。祈りを込めて。

2007年9月11日火曜日

今年の夏。私は長らく不信感を抱き続けていた、東京の夏というヤツと、とうとう和解した。




暑かったですね。

と、一言で片付けてしまうには、あまりに過激であまりに節操がなくあまりに野蛮だった今年の夏。本当に面白いように汗をかいた。いやいや、汗をかきました。なんて、生易しい言葉は相応しくないダロウ?ただただ面白いように汗が流れた。顔に首に鎖骨に胸に腹にへそに。そらにはもっともっと下のほうへと。ただただ汗は吹き出して流れて落ちた。体の奥の奥の方から。知らない匂い。知らない感触。汗というヤツに際限というモノはないんだろうか?彼らは限界という言葉を知ってるのかな?私のカラダは変わってしまったのかもしれない。まるで、無限に生まれては細胞分裂繰り返す生き物を飼ってるみたいな夏だった。私のカラダのこの中に。


毎日毎日、私は常識を逸脱した汗を流しては水を飲み。自転車で走っては仕事をし。腹が減ったらとりあえずソレを満たして。暗くなったら疲れ果てて眠りこけてた。身ぐるみ全部剥がしては洗濯機に放り込んでは、毎日毎日洗濯をした。気が付けばクーラーをつけることも、うっかり忘れてた。読書もしなかった。


そんな今年の夏。私は長らく不信感を抱き続けていた、東京の夏というヤツと、とうとう和解した。今年の夏は実に愉快だった。実に実に愉快だった。誰彼ともなく、ザマアミロと言ってやりたい気分だった。

2007年9月7日金曜日

あの日のコール



あの日、不思議な時間に不思議な場所から電話が鳴った。私は誰かと眠りの中にいた。


コールで目が覚めたのと、無意識に受話器に手を伸ばすのと、ほぼ同時だったんだと思う。少し混乱してるあなたの声が降ってきた。私には夢の中なのか外なのかここが何処なのか隣にいるのは誰なのか、すぐには分からなかったけど。あなたの声だということだけは、すぐに分かった。


「もしもし、あれっ?」「もしもし、あれっ?」息遣いと一緒に、ただならない雰囲気が伝わってきた。目覚めきらない私もつられて、少し混乱した。時間とか場所とか関係とかがぐしゃっと潰れてなくなって、ただ、私の目の前にあの人が立ち尽くしてるみたいなコールだった。焦点の合わない目が見えるようだった。彼は私にコールしてる自覚というヤツがないみたいだった。丸腰みたいに無防備な彼が目の前にいた。いつものように、もしくはいつかのように、抱きしめてあげたかった。強烈にただそうしてあげたかった。やさしい声で名前を呼んで落ち着かせてあげたかった。呼びかけるのは簡単に思えた。簡単なはずなのに、呼びかけられなかった。私は体が竦んで動けなくなっていた。声が出なかった。

「もしもし、あれっ?」「もしもし、あれっ?」名前を呼んで手を差し伸べて。手を差し伸べたら抱きしめて。だけど抱きしめたら放せなくなる。もしくは、名前を呼んだら呼び返されて、呼び返されたら捕まって、捕まったら抱きしめられて、抱きしめられたらもう動けなくなる。どちらでもどちらからでも構わない。とにかくもう一度始めちゃいけないんだと。頑なぐらい頑なに。ただ思って、私は黙って受話器を握ってた。

あの夜、コールが届く少し前から私は呼ばれることを知っていた。確かに知っていた。出ないでおくという選択肢だって、もちろんあった。けど、眠りの中の無意識の私は、あなたのコールを待っていて。体は正直に反応したんだ。それでも、意識を取り戻した私は、無意識の私を厳しく律して。とにかくもう一度始めちゃいけないんだと。頑なぐらい頑なに。ただ思って、私は黙って受話器を握るしかなかったんだ。だけど、受話器を私から置くこともできなかった。たった一言で彼の混乱を沈めてあげることもできなかった。名前を呼んであげることもできなかった。


なんにもできない夜だった。私もただただ立ち尽くしてるだけのような夜だった。私にも丸腰みたいに無防備な夜だった。

2007年9月2日日曜日

そして、今はもう、ない。



あったこと。そこにあったこと。そして、色濃くあったモノが、今はもうなくなってしまったということ。それを思い出して、泣いてしまいました。

私にとって映画とは、とても個人的なモノかもしれません。ただ、 私を引きつけるのはいつも、何かがあったということ。そして、それが、今はもう、ないということ。今日ヴェンダースの「東京画」をみました。この映画には「あった」ということ「そして、今はもう、ない」ということだけでできていると言ってしまっても過言ではないと思うのです。


だから、どんなにセンチメンタルと言われようが、笑われようが、勘違いと言われようが、私は泣かずにはいられないのです。ただもう泣くことしか思いつかないのですから。

さみしいということを覚えると、人は呆けてしまうといいます。私は呆けてしまうかもしれません。いつかきっと。私はさみしがることを覚えてしまいました。あれからずっとさみしくてさみしくて仕方がなかったんだなと気が付きました。このさみしさは、あんなに楽しい時間を食べてしまった、報いなのかもしれないけれど。これからもずっとこのさみしさだけは、なくなることがありません。それだけは確信めいた予感があります。それは、私が忘れられないのではなく、忘れないと誓ったから。このさみしさを抱えて生きていこうと思ったから。

今日、ヴェンダースの「東京画」をみました。好きな映画です。

コロシヤ



子どもの頃

フルサトにはコロシヤがやってきた
年に一度か二度
村の公民館の広場にやってきて、店開きをした
私たちはおばあちゃんに連れられて
殺してもらう動物を手に手に
順番待ちの長い列に並んだ

年をとって家畜としての役目を果たせなくなった
ニワトリとか
山羊とか
もう死ぬのを待つばかりの年老いたウサギとか
そんな動物達を抱えた
長い長い列が出来た

コロシヤは動物達をくるり剥いて肉に代え
毛皮や内蔵を引き取って
私たちに肉になった動物達を返してくれた
時に望めば内蔵も返してくれることもあった
私たちはそれを受け取ってお金を払い
包みを手に手に家に帰った

コロシヤは動物達が悲鳴をあげる間もなく
あっという間に肉に代えた
その血の色が
幼い私の記憶にはないから
きっとものすごい手際の良さで
私たちが躊躇うよりもずっと早く
動物達を肉に代えていったんだと思う
動物達に痛みを感じさせる隙もないぐらい
動物達が自分の最期に気付く隙もないぐらい

行きに動物達を抱いていた腕の中には
帰りにはその肉の包みがあった
どちらもあたたかくてしっとりとしていたように思う
毛皮や内臓を抜かれて少し軽くなったはずの包みは
私の手には少し重くなったようにも感じられた
私は大事に大事にその包みを持った

家に帰って
おばあちゃんが動物達をおいしく煮てくれた
裏の畑でとれた野菜もたくさん入れた
おばあちゃんの煮物

飼っていたニワトリも
妹達と一把づつ名前を付けて可愛がっていたウサギも
誰かが仕留めてきた山の獣も
私たちはいつだってみんなみんな残さず食べた
年老いた動物達はとても堅かったけれど
黙って食べた

おばあちゃんはいつも
ちゃんと噛んで残さず食べらっしよ。と、厳しく言ったから
私たちは言いつけを守って
しっかりとよく噛んで残さず食べた
しっかりしっかりよく噛んで全部全部食べた

2007年8月26日日曜日

「A」と「E」と「G」



「カレーを作ったから食べにおいでよ」というあまりにも魅力的な誘い言葉に「へいへい」と、二つ返事で頷いて友達の家に遊びに行く。少子化少子化と言われている昨今ではあるけれど、我が友達は立派に三人の子供を持つ父親なのでありました。

末っ子のあーちゃんがすっかり私に懐いてくれた。

ので、二人にしてそれぞれブルースハープを携えて散歩に行く。あーちゃんはカラダを揺らし目を閉じて、なんとも上手にハープを吹いた。呼吸するみたいに風に乗せるみたいにお話をするみたいに。すっかり感心し、私も呼吸するみたいに風に乗せるみたいにお話をするみたいに吹けるようになるように、あーちゃんに続いてみた。公園の風に紛れて、二人でえんえんとハープを練習する。公園に遊びにきていた子供たちが不思議そうな顔で振り返る。あーちゃんはちょっと得意そうな顔をして見返したりしていたっけ。

昼ごはんは、実に魅力的な「夕べの残りのカレー」をいただいた。夜は延々と続くかと思われた「たこ焼きパーティー」に参加した。その大騒ぎぶりが楽しかった。開けっぱなしの窓から入ってくる風が、びっくりするほど涼しかった。子供たちが自分の焼いたたこ焼きを食べろ食べろと皿に盛り上げてくれるのが嬉しかった。「たこ焼きミックス」に葱と玉葱を追加したたこ焼きが美味しかった。奥さんまでが子供に負けじとたこ焼き作りに熱中している様が素晴らしく。その家族として完璧な感じに何だか感じ入ってしまった。

たこ焼きをつまみながら友達からギターを習った。

今までだっていくらでも教えてくれる人はいたんだけど、なんとなく気恥ずかしく習えなかったギターを今夜は心置きなく習う。「A」と「E」と「G」。「A」と「E」と「G」。「A」と「E」と「G」。「A」と「E」と「G」を繰り返しおさらいする。そして、ジャラジャラとひいてみる。弾いてみたらば、いい音がして嬉しくなった。

とまっていってーとまっていってーと、あーちゃんやなっちゃんやゆうくんにせがまれたけど、ねこが待っているからねと帰り支度を始めた私に。シールやペンダントやビーズ細工の道具なんかを細々とプレゼントしてくれるあーちゃん。今日はすっごく楽しかったねと繰り返し言うなっちゃん。帰ると言うのに、ちょっとこれ見ていってーとパソコンの前に引っぱるゆうくん。そんなみんなにさよならするのはさみしかったけど、賑やかに駅までの道を送ってくれて、いつまでも手を振ってくれたっけ。

友達の家は、狭くてごちゃごちゃしていてすごくすごくうるさかったけど。実に家族だった。実に実に家族だった。その「真っ当」な感じが、私をすごく嬉しくしてくれた。