2008年2月22日金曜日

ただただゆったりと終わりに向かって流れていた。



去年の夏のこと。

同僚という名のオバチャンと、ずっと(8年くらい)担当してきた利用者さんのお通夜に出掛けた。会社としては、葬儀や通夜に出席することはあまり推奨してないのだけれど。通夜に出掛けることや死に顔をみせてもらいにいくことは、私の中のヒトツの大事な区切りになる。今夜もヒトツの区切りをつけるために善福寺川の川沿いにある小さな葬儀場に出掛けたのだ。

利用者さんは、103歳になるお婆さん。大往生だあ。幸せな一生だったよねえ。と、誰からともなく感心とも羨望とも感嘆ともとれる声が漏れてくる。すすり泣く声も聞こえてきたけれど、賑やかな微笑ましいお通夜だった。

死に顔は、本当に奇麗だった。

こんなに鼻の高い人だったっけ?こんなに彫りの深い人だっけ?さっぱりとした輪郭だったんだなあ。肌もこんなに美しかったっけ?生きている時には見過ごしていた美しさに、しばし時を忘れて見蕩れてしまった。いろんなモノを脱ぎ捨てたような、清々しい顔。と言ってもいいと思った。もしくは、死ぬことで、美しくなったのかもしれない。なんて思った。

最後にそうっと頬に触れたら、ひんやりとしていて心地よく。しっとりと潤っているようにも感じた。私もいつかきっと、こんな冷たさを手に入れられる日もくるんだなあと。ぼんやりと思った。

私はいつもこのおばあさんを羨ましいなあと思っていた。百歳を過ぎて、人生の大概のことを体験し尽くして終わりにゆっくりと向かっている彼女の毎日を。不謹慎承知で羨ましいなあと思っていたのだ。息子さんの死も、世の中の悲しいニュースも、誰かの話す配慮に欠けた言葉も、彼女の毎日を脅かすことはもうなかった。ただただゆったりと終わりに向かって流れていた。美味しいものを口にすると口元が緩んでニコニコと嬉しそうだった。体を拭いてあげると、気持ちがいいと目を細めた。立ち上がる時は一緒になって「どっこいしょ」と言っていた。虫眼鏡を使ってチラシや会報を読むのが好きだった。時々は新しい服で出掛けたいとタダをこねた。そんな姿が川に重なった。海に向かってどんどん広がって、広がりながら自身も穏やかになっていく川。彼女は今日海に注ぎ込んだのかもしれないねえ。なんて誰にいうでもなくヒトリ思った。

お通夜からの帰り道、同僚という名のオバチャンが「ここのスーパーね、この時間になると値引きが始まンのよ、安くなるからさあ、買ってこうよお」というので、買い物カゴを振りかざして半額商品に群がる人々に混じってみた。メカブとタラコとサクのまんまのお刺し身を確保した私は、ちょっと得意気だったかもしれない。メカブとタラコとお刺し身が食べたかったのかは分からないけど。戦利品の入ったカゴを「ほらっ」と見せ、オバチャン「ヨシヨシヨクヤッタエライエライ」と褒めてもらいたかっただけなのかもしれないけど。でも嬉しかった。

帰り道、昼間の暑さが嘘みたいで、涼しい風が吹いていた。いい夜だなあ。そんな言葉が、ぽろっと口をついてこぼれた。口に出したら、もっともっといい夜になったような気持ちがした。

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